深ーい溝を感じてしまった事件。

かつて奴隷制度のあった英国では毎年10月が「Black History Month=黒人史月間」になっている。この月にはほとんどの学校で黒人奴隷制度やその後の移民の歴史・公民権運動について学ぶ。(アメリカとカナダは2月。)

その関連で、ある中学校の生徒やその親の人種差別体験についてまとめた自主制作動画を見せてもらったのだが、私もあまり意識したり腹を立てはしなかったけどいろんな差別を受けていたなーと改めて気がついた。

例えば東洋人の私は子供が小さかった頃、自分の子供と友だちの子供(白人)を一緒に遊ばせているだけで勝手にナニー(子育て代行者)だということにされ、周りの白人系母親から用事をおっつけられるというようなこと。

私の方はあまりに無知で、それが差別行為だなんて当時は気がつかなかったのだけれど。ヘイトクライムのように直接的な暴力を受けたことは幸いないけれど、こういうことはたまに感じる。

先ほどの動画の中では、スーパーのレジで前に並んでいた白人女性が落とした財布を拾い手渡しだたけで、その人から泥棒扱いをされた黒人男子学生の話や、ヒスパニック系ルックスのため、周りからデフォルトでナニーや掃除婦だと思われてしまう母親のエピソードが語られていた。

この「デフォルトで〇〇として扱われる」というところがポイントだ。

昨年末 、故エリザベス女王の側近だった女性が、バッキンガム宮殿の集まりに招かれた英国出身の黒人慈善活動家に対して「本当はどこから来たのか」繰り返し尋ねるという事件が起こり話題になっていた。

慈善活動家の女性は「私は英国生まれの英国育ち。あなたと同じ英国人です」と何度も言っているのに「そんなわけないでしょう」と、全く聞き入れようとしなかったというところに人種間の深~い溝を感じる。

いろんな人が暮らす国だから相手の出自を知りたくなる気持ちはわかるけれど、これは無意識かつ失礼すぎてこわいと感じてしまった。狭い世界に安住し続けると、こうなるんだなーと思ったニュースでした。

自分も無意識にやっているんじゃないかと思うとヒヤっとします。

イギリス中学生にジェンダー流動性について聞いてみた。

コロナと東京五輪の話題に始終した2021年だったけど、個人的には多様性について色々考えさせられた年だった。英国ではいろんなバックグラウンドの人が暮らしているので、BLM運動に代表される人種の多様性はもちろんのこと、性の流動性=ジェンダー・フルイディティの認識拡大がとくに印象に残っている。

先日、中学生と話していたら多様性とジェンダー・フルイディティが授業でいつも取り上げるし、人種問題とLGBTQもよく授業のテーマになると言っていた。中学生といえばまだ若いし、性について知り始めたばかりだと思っていたけど「私はゲイ」「まだ決まっていない」「今はフルイド(流動的)」など、自分の性自認についてオープンに話す子も多いそうだ。

私が現在勉強中の美術教育コースでは、オンライン授業の始まりにZoom画面で自分の名前が表示されるところに「自分の代名詞(プロナウン)」を記入することを勧められる。私の場合なら「Nemo−she/her」と書き換える。つまり私の名前はネモで、女性名詞で扱ってくださいという意味だ。

これは授業中のトークで、日本語だと「〇〇さんが言っていたように、、、」で済むところが、英語の場合「彼の考えは、彼女の意見は」と性別のある代名詞を使うことが多いためだ。

男性で性自認も男性なら「 ジョン he/him」となるし、生まれは男性だけど女性形で呼ばれたいなら「ジョン she/her」と書く。

そしてどちらでもない場合、いわゆる「ジェンダーフルイド」「ノンバイナリー」の場合は「名前+they/them」と書くことになっている。

「them/them」って複数形じゃないの?と最初は混乱したのだが、現在はジェンダーフルイドの人を指す場合はこのようになっている。人気スターがノンバイナリーであることを公表し、自分のことを指すときの代名詞には“they/them”を使ってほしいと宣言したことからこの使い方が定着したという。

先ほどの中学生がやっているゲームでも、女子らしき外見の主人公キャラのことを「she」ではなく「they」とノンバイナリーな呼び方で表示している。ちょっとトレンディなのだ。

国勢調査や病院で個人情報を記入する欄もいつの間にか「性別=男・女」ではなく「生まれたときの性別=男・女」と表記が変わっている。

Z世代はいい意味でそれ以上の世代と違うな〜と感じる1年でした。


英国ロックダウン。引きこもり生活1週目。

ボリス・ジョンソン首相もコロナウィルス陽性のニュースが伝えられたばかりの27日の英国。おとなはテレワーク、こどもは自宅学習の日々が続いています。

外出制限はあるとはいえ、お天気もよく一日一度の外出は条件付きで認められているので、現在のところ閉塞感はそれほどないですが、なんともシュールな日々。

オンライン会議システムZoomを使って仕事をしたり、家族や友人とオンライン飲み会やゲーム、誕生日パーティをしたり。いつもよりかえってコミュニケーションが密になっている気も。
はやく収束してくれることを願うばかりですが、これを機会に多くの人の働き方やつながり方の意識が変わるんだろうなという予感がしています。

昨夜26日の英国では医療関係者に感謝の気持ちを伝えようと、夜8時に人々が窓際に姿を現し一斉に拍手送る「Clap for Carers 」というキャンペーンが行われました。

うちもバルコニーに出ましたが、外は拍手と口笛の嵐。
草の根でスタートした呼びかけが、首相や王室メンバーまで参加するという全国イベントになるなんてイギリスっていいなと再確認した瞬間でした。

都会生活ではあまり近隣住民とあまり接点がないものですが、こんな形でもつながれるとは。
ロックダウンもいろいろ楽しんだれ〜!の精神、いいですね。

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どうやって防ぐ? 日英比較コロナ対策②(英国人のパニック買い編)

<前回からの続き>
さてマスクはかけず、手にフォーカスして感染を防ごうとする英国人の対策とはどんなものか。

ちなみに“Catch It, Bin It, Kill It.” (ウィルスを捕まえ、適切に処理し、やっつける)というのが国民医療サービスのNHS標語だ。
これは公共交通機関でのテロ対策の標語“See It. Say It. Sorted.” (不審物を見つけたら、ソク報告。担当者が対応します) と同じくで、韻を踏んでいてキャッチーで覚えやすい。

BBCニュースのスクリーンショット。サッカー試合も中止に。


以下の3つが国の薦める代表的な対策だ。

  • まず「石鹸で手を洗い、消毒液でさらに殺菌」が基本。これはどこでも同じだろう。全国の学校でも数時間ごとに生徒が手洗いをするよう指導され、みんなで一日に何度も手洗いに向かっている。またジェル状の消毒液も手渡され、手に数滴を落としすり込むようにして消毒する。うがいについてはあまり聞かない。

  • 咳やくしゃみをする時は片腕で顔を覆う。ティッシュが間に合わず両手で顔を覆うようにしてハクションとやると、手にウィルスが付着し、それがあちこちに触れる感染が広まるからというのが理由だ。やっぱりマスクはしない。

  • 咳、喉の痛み、発熱があったら他人との接触を避ける。学校を休んだり、自宅勤務に切り替える。もちちろん新型ウィルスに感染していることが分かったら自主隔離。ちなみに単純な風邪だが大事をとって休んだ就学児を抱える私は、本日リモートワーク中。本日は撮影がないので助かっている。

ちなみに英国ではこれを機にオンライン・ラーニングと在宅ワーク率がぐっと進みそうで、ある意味投資とビジネスチャンスでもある。もちろんそういった話し合いがすでに企業で連日持たれている。

そしてパニック状態の大人を横に、元気のいい子どもたちは面白いことをやっている。
何があろうと彼らはたくましいし、新しくて面白いことを生み出す。どこまでも健全だ。

例えばこんな感じ。

  •  学校では1回20秒間の手洗いを指導されているが、ただ洗っているだけだとこれは結構長い。キッズたちはバースデー・ソング(ハッピーバースデートゥーユー♪)を歌いながら手を洗う。そのうち新曲も生まれてくるだろう。

  • 大人は挨拶のハグと握手を避けているが、キッズたちは友人と会うときに「やっほー」「ようよう!」という感じでグーを突き合わせる「フィスト・バンプ」の代わりに「エルボー・バンプ」なる方法を編み出した。つまりは手の代わりにひじを曲げてお互いのひじをコツンと合わせるというあいさつの仕方だ。大人もジョークまじりでこのエルボー・バンプをまねるようになった。

結局、マスクは登場していない。たまにマフラーやスカーフを目深に巻いて工夫している人はいる。マスクなんかしても、予防にならないよと公言する人もいる。

そして日本も英国も変わらないのは人々のパニック買いだ。

何かあるたびに トイレットペーパーが最初に消えるという現象が不思議でならなかったのだが、「ストレス時、ヒトは意味はなくても日用品を買うと心が落ち着く」という話を知り、ようやく納得。

私がいつも買い物する大手スーパーでも、薬や食料より先に、まず一気にトイレットペーパーが棚から消えている。

サイズの大きいものだけに消えるとすごく目立つ。だから「あ、うちも買わなくては」とさらに人々の購買意欲をかき立てるのだろう。いわゆるFOMO(取り残され恐怖症)だ。

ユニバーシティ・カレッジ・オブ・ロンドンのディミトリオス・ティブリコス(Dimitrios Tsivrikos、名前の日本語表記が間違っていたらすみません)博士によると、パニックは種類がありひとつは災害型パニック、もうひとつは一般的パニックと呼ばれ、トイレットペーパー爆買いは後者の典型的な例なのだという。
災害型パニックは人々がもう少し情報を握っており、自分の取るべき対策が分かっている。
一方で一般型パニックはどうするのがベストかいまいち分からず「なんとなく怖い」という不安と焦りだけが伴う。ウィルスは目に見えないから逃げるのも難しいし、ニュースではあおりまくっているし、知らないうちに人々の不安とストレスが高まっているということだ。

こういういったよくわからない不安を抱える時、人はとにかくどーんと大きくて長持ちして安心させてくれるようなものを買ってしまうのだという。

現在はもう少しシリアス度が増したせいか、私が暮らす(ロンドン)エリアではトイレットペーパー以外にも解熱剤・風邪薬などの薬品、主食系の米やパスタに朝食シリアル、非常食用のカンヅメ、冷凍野菜などが店舗から消えている。小麦粉類もゼロ。
それなのに生鮮食品やレディーメイド品、普通の食パン類、菓子類やお茶は現在のところ変わりないように見えるのは、人々が基本食材のストック用買い物でそこまで手が回らないせいなのか、それとも一つ一つのサイズが小さいので減っていても目立たず、場所もとらないので店のストックも十分にあるということなのか。まあ半々といったところだろう。

心理学者のカタリナ・ウィトジェンスは「人々のパニック状態は1ヶ月もすると収まる。冷静になるまでそれぐらい時間がかかる」と述べている。

どうやって防ぐ? 日英比較・コロナ対策 ①

昨日、仕事関連のミーティングに出かけて行ったらいつもビッグなハグで迎えてくれる人がすっと身体を離したので「おや?」と思った。もちろんコロナ・ウィルスのせいだ。

コロナ騒動は遠い国の話だからだから大丈夫、ココは島国だからと対岸の火事でのんびりかまえていた先週末までの英国民 。しかし欧州ではイタリアで状況が悪化していること、国内での感染者数の上昇、そして英保健担当閣外相ドリス氏がこの新型ウィルスに感染し自主隔離のニュースが報じられ、12日には国会で学校閉鎖に踏み切るべきか否かの討論が持たれるに至って一気にパニックが広まった。


ちなみに3月13日現在、 英国では全国的閉鎖になっていない。しかし、もちろん以前から予防対策はしつこく呼びかけている。(後日記※その後18日に行われた発表で3月20日・金曜日より保育園や私立校も含む全国の学校が一斉休校となった。しかし医療関係者や物資配達の運転手、スーパーの店員などキーワーカーと呼ばれる人たちの子どもたちを学校で受け入れるとしている。)

そんな中で思うのが、英国のマスク事情である。

手洗いを徹底するようにというのは、感染を防ぐためにどこの国でも言われていることだが、花粉症や風邪対策にはすぐマスクの日本人と違い、英国人はマスク着用にけっこう抵抗があるのだ。

これまで、英国人には「マスクをしている人=すでに危険な病気にかかっている人が拡散防止にかける」という先入観があった。この場合、医療従事者はもちろん別である。

このため英国でマスクしている人を見かけることはごく稀なのである。都心部への自転車通勤車が防塵マスクをしているのは見かけるが、これはサイクリングウェアとセットになっているから大丈夫、と思われているだけであって、町歩きやオフィスでかけていたらちょっと変な目で見られる。

また、ギャング犯罪のイメージもあり、顔を見られたくない事情のある人がマスクをするという先入観も根強い。同様の理由で、パーカーのフードをかぶったままショップ等に入店してはいけないというルールがある店も時々ある。(もちろん雨の日や寒い日は外でフードをかぶっている人は多い)

実際、昨日ランチどきの混み合うオフィス街を歩いていた時にマスク姿の人を捜してみたのだが、マスクをしていた男性は1人だけでしかも東洋人系。暖かい日だったのも関わらず、マフラーを顔にぐるっと巻いてマスク風にしていた白人男性が1人いた程度だった。(後日記:18日時点で少しは増えた気がするが、やはりたまに見かける程度)

BBCなどのニュースを見ているとアイキャッチ画像にマスク姿の人が写っているのだが、やらせか?と思ってしまうほど(そんなわけないだろうけど)。こんな事態でもサイクラー以外でマスク姿を見つけるのは至難の業なのだ。

とはいえ、バスや電車に乗れば、携帯用アルコール消毒液の匂いがどこからともなく漂い、手すりなどを触ったりバスの昇降ボタンを押す場合もセーターの袖を伸ばして直に手が触れないようにしている人が多い。暖かい日なのに手袋、しかもちょっと薄手の防寒目的ではないような形状の手袋をしている人も見かける。手から防ごう、というのが英国人の対策みたいだ。

ちなみに、電車やバスに乗りたくないので片道1時間半かけて徒歩通勤している友人がいる。

具体例・そして英国民がコロナ騒動でどんな行動をしているかについては、次回ブログに。

(わりとすぐ更新の予定です)

※後日記>18日の時点でもマスク姿はまだ稀だ。しかし数は増えて来ている気がする。もともとマスクの需要がないので出回っていないということもあるし、「マスクは医療従事者のためにとっておけ」という声も聞かれる。日本での感染者が英国に比べ少ないのは手洗い、うがい、マスクが徹底しているからなのかもしれないと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春、にせ空腹についておもう。

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昨年、怪我のリハビリでヨガをはじめたところ驚くほど調子が良くなり、以来、せっせとスタジオに通っています。そしてこれをきっかけにヨガとセットになっている世界三大伝統医学のひとつアーユルヴェーダにも関心を持っていたところ、素敵な巡り合わせでアーユルヴェーダについて知る会にご招待をいただきました。

アーユルヴェーダの先生の美しい自宅キッチンで「春のデトックス」をテーマに料理を教えていただくという企画。
前からスパイス好きで家でインド系カレーを作ることが多かったものの、スパイスの一つ一つがアーユルヴェーダ的にどんな意味があるのかについては全くの無知だったため、新しい世界を見せていたき感激でした。

レストラン・グルメ情報よりも、食カルチャー路線に興味が向きがちで「ロンドンのど真ん中で野草採集。その野草で世界の各国料理を作る」というレシピ本作りにも参加したこともあり、自分にとって直球ど真ん中ストライクのテーマ。

この会にはマクロビオティックの先生も同席されており、でき上がったリゾット風の色鮮やかなデトックス・ランチをいただきつつアーユルヴェーダとマクロビの相違点・共通点についても話が弾み、なんとも贅沢な内容の会に。

そして、どんなに健康的な食事であってもゆっくり味わいもせずセカセカ・イライラと食べているのではあまり意味がない、何を食べるかも大切だけれど「どう食べるか」もとても大切、というお話にも深くうなづいたのでした。

帰り道で思ったのは、自分の食に対する姿勢。

もともと食いしん坊な上、気分転換やストレス解消に食べることが多く、空腹でなくても食事どきになったからと食べることも多い。頑丈なのか鈍感なのかそれで体調を崩すことはないのだけど、身体の声はあまり聞いていない感じで、健康的な食べ方ではないかもしれない。

もちろん仕事の都合や家族と食事時間を合わせるといった事情もあるし、コレ食べてみたい!という好奇心・楽しみもあるから、全てを否定をしてしまう訳ではないけれど。

自分が感情や思考にひっぱられて食べるタイプだということを再確認。
前からうっすらとは分かっていたものの、私の場合は「ちょっと食べたい」程度の空腹は、たいてい頭や思考の「食べたい」「食べなきゃ」という声からくるもので、実際の空腹からくる食欲ではないことが多いのでした。

「これは食べてよし、あれはダメ」と白黒的な判断に片寄ってしまうこともあります。食情報のインプットが多すぎて頭でっかちになってしまったせい。
実際のところは食べ物自体に良い悪いなんてなくて、食べる側の姿勢やチョイス(つまり先生のおっしゃる「どう食べるか」)の問題だということは分かっているのに、思考がちょいちょい邪魔をするのです。ああ悩ましい。

実験として、何か食べたくなった時に毎回「自分の体は、お腹すいてる?(←変な言い方ですが)」という質問に1(飢餓状態)~10(満腹で気持ち悪い)のスケールで回答してみることにしたら、自分の場合、5〜6あたりですぐ間食をしたくなるよう。 空腹からの食欲でないことは明らかです。

この観察が自分の食習慣にどんな影響を与えるのか。少し続けてみるつもり。

アーユルヴェーダの世界を見せてくださった、まりこラベンダー・ジョーンズ先生のウェブサイトはこちら
「脱・完璧主義」という言葉にぐっときます。

英国の暴風雨の名前はどうやってつけられるのか?


暴風雨キアラが去ったと思ったら間を置かず暴風雨デニスがやってきて、その後もなかなかお天気が安定しない2月の英国。
家の周りでは暴風で木が折れまくり、先日は飛んできた枝がぶつかり痛い思いをしたので、外出をためらってしまいます。

暴風雨に名前をつけるのってアメリカのハリケーンみたいだなと思っていたら…英国で名前に人名をあてるようになったのは2014年とかなり最近なんですね。

これらは男性名・女性名と交互につけられ、アルファベット順になっています。
名前のアイデアは公募。
現在はDのデニス、次はEのエレン、その次はFでフランシス…と1年分の名前は全部前もって決まっているそうな。

また米国のハリケーンのネーミング法と合わせるため、Q, U, X, Y, Zで始まる名前は除外されているそう。

あまり意識していなかったので今年まで知らなかった英国マメ知識でした!

ビミョーで面白い、階級の話②

(※イギリスの階級社会・現代版について書いたコラムの続き。2014年に書いた記事を転記しています。)

前回は移民として暮らす私見イギリスの階級制度と、去年(※執筆当時)イギリスで行われた最新の階級調査の結果について書いたけど、今回は階級別のテイストをテーマにしたイギリスのTV番組を紹介したいと思う。

タイトルは『In the Best Possible Taste』といって、2012年夏に民放Channel4で放映され各方面から高い評価を得た3回ドキュメンタリー。とりあげるのが遅いけれど、英国で連綿と続く階級制度のこと、数年ぐらいで中身が古くなることもないでしょう、ということでご容赦を。

プレゼンターは現代美術家のグレイソン・ペリー。イギリス現代社会における「ワーキングクラス/ミドルクラス/アッパークラス(=労働階級/中流階級/上流階級)」の趣味嗜好と価値観を観察し、それぞれの典型に潜む意味をさぐっていくという内容。英国「インディペンデント」紙では、本ドキュメンタリーを”2012年のベストドキュメンタリー番組”と賞賛している。

ペリー氏は2003年、イギリスのコンテンポラリー・ アーティストに与えられる一番権威ある賞、ターナー賞を受賞。文化や信仰、暴力や隠された欲望なんかをテーマに、 様々なメディアを駆使して、ちょっと毒のあるユニークで装飾的な作品を生み出している現代美術家だ。

「なんだ、偉大なゲージツカ先生」司会の高尚なドキュメンタリーか、と敬遠するなかれ。

彼のもっとも一般に広く知られるイメージは「フリフリドレスの女装姿で授賞式に現れた、ちょっとヘンなアーティスト」。ゲージツ家って奇抜な言動や奇行が目立ったりすることがあるが、まさしくそんな感じの人物だ。というか、そういったステレオタイプを逆手に取ってああいった装いをしているのかなとも思う。

ペリー氏本人。となりの壷も彼の作品だ。

ペリー氏本人。となりの壷も彼の作品だ。

そんな彼を案内役に持ってくるわけなので、ただの観察ドキュメンタリーに終わるはずがない。

ワーキング/ミドル/アッパーの3回に分け、毎回それぞれの階級の典型をいく人たちと交流し、彼らの行動や趣味趣向について紹介した後は、彼のつかんだ3つの階級が表現するイメージを、かつて歴代の王侯貴族が好んだタペストリーというメディアを選び、アート作品へと仕上げて行く。そんなわけで前回触れたイギリスの階級システムという「部族社会」について動物ドキュメンタリーチックに観察できるだけでなく、芸術家の視点や思考プロセス、制作舞台裏までしっかり覗けてしまうという嬉しい内容なのだ。

※写真は番組のページより拝借しています。

※写真は番組のページより拝借しています。

ちなみに以下が私が番組を見てざっくりつかんだ階級のテイストの印象&キーワード。同じカテゴリーで矛盾してる箇所もあるが、そこらへんは個体差というかタイプ差みたいなもの。1つの階級のなかにも色々クラス分けがあるので。

ワーキングクラス
マッチョ。入れ墨。ヘアカラー、体の線を意識した服(男女とも)、パブ、ビール、やたらとでかいテレビ、テレビのメロドラマ。

ミドルクラス
コンサバで高めの服、個性重視、スーツ。体の線でなくカッティングを意識した服。お金。競争心&上昇&差別化志向。恐れ。見栄。スイーツ(笑)。

アッパークラス
馬、ポロ、屋敷、狩り、カントリーハウス、装飾的内装、顔が均一、平均身長が高い、古びたツイードジャケット、割と地味な服(でも高い)、TPO(>これはあえて太字!)、帽子、調度品が古い(>相続品なので)、減らさず増やさず次世代に渡す財産管理。

個人的にはミドルクラスが気になる。上に憧れつつ、しかも周りから浮かないように気を使い、でもやっぱり差をつけたい競争心も見え隠れし、ワーキングクラスとはぜったいに差別化を図りたいという、揺れ動く心境がかなり大変そう。しかし、ここまで心境が見えちゃうというコトは、自分は外から見てるつもりでもこのカテゴリーに実はどっぷりはまっていて、そういうエゴみたいなのがどっかにあるからなんだろうな〜とも思う。まあ、ミドルクラスはかなり多様化しているので、上の説明は典型的ミドルクラスの例と考えていただいきたい。

上流がその資産の割に意外に地味に見えるのは、お金だの家柄だのでケンを競わなくてもいいというのがあるんだろうか。内輪ではそれなりにイロイロあるのだろうけど。まあアッパークラスとはいえ、いかにもな貴族から、相続した屋敷を管理しきれなくて手放したり、美術館の様な屋敷を「好みじゃないから」といって敷地内にある、かつて使用人が住んでいた家に暮らしているタイプまでいろいろあったのだけど。

余談になるが、貴族一家とその使用人達のドラマを扱った人気ドラマ『ダウントンアビー〜貴族とメイドと相続人』で、どのエピソードだったかは忘れたけれど、計算ずくの婚約を交わした成り上がりの新聞王(ミドルクラス)と貴族の長女が新居のインテリアについて語るシーンで、新聞王は「(カネはあるから)装飾品・調度品はこれから買えばいいさ」といい、長女はあきれてほとんど蔑んだような口調で「装飾品は買うモノではなく(先代から)相続するものでしょう」と言い放つシーンがあって、そのギャップに感心した覚えがある。ちなみに監督のジュリアン・フェローズ氏は貴族一家の子孫である。

余談ついでに、ペリー氏自身は労働者階級出身だけど、著名人となったことでミドルクラス的生活をしていると語っている。

ドキュメンタリーに話を戻す。

それぞれの階級を訪れたあと、彼らの催すパーティに招かれると、ペリー氏はその階級に合わせた合わせたお得意の女装でドレスアップし登場したのもなかなか面白かった。女性ではなく男性が「女に化ける」ので、イチから作り込まなくては行けない。そうなるとメイクにせよ髪型にせよ服のスタイルにせよ、それぞれのスタイルをよく理解できていないとちぐはぐな感じになってしまうからだ。さすがゲージツカ。しっかり特徴をつかんでいて面白かった。いやいや、髪型1つとってもこんなに違うとは。

そしていよいよタペストリー制作のシーン。すごく乱暴ににまとめるとペリー氏はウィリアム・ホガース的な風刺絵画と宗教画を掛け合わせたイメージを念頭に作品群を仕上げていくのだけど、このプロセスは見ていてかなり面白い。

観察したものをそのままタペストリーにしたのではせいぜい「ふーん、上手ね」どまりでゲージツにはなり得ない。どんな形であれ見た人に日常を飛び越えて「??」「!!」という反応を起こさせるのが絵(なり小説なり歌なり)が上手な人とアーティストの決定的な差なんじゃないかと思うのだけれど、好き嫌いは別としてアートの生まれる背後にある思考やらもっと深い所を垣間見ることができてどきどきしてしまった。

彼の感じる所の上流階級を描いたタペストリーの1つ。『アッパークラス・アット・ベイ』つまりこの層の斜陽を物語っている。

彼の感じる所の上流階級を描いたタペストリーの1つ。『アッパークラス・アット・ベイ』つまりこの層の斜陽を物語っている。

階級というのは実に微妙な話題で、つい感情やスノビズムに流れたり、全貌をつかみにくかったりするテーマなのに、よくぞここまでまとめてくれた!という感じ。私自身の興味という角度からこの番組について紹介してみたけれど、色んな見方ができてかなり深い。

「イギリスってどんな国?イギリス人って?階級って?」と疑問に思っている人、そして芸術家の視点に興味のある方にはかなりオススメの番組だ。

最後に。ペリー氏もコメントしていたが、趣味=テイストが良い・悪いということはなくて、違う価値観があるだけなんだと思う。自分や属する種族と違う趣味に対してただ違和感を感じているということだ。言葉を「センス」に置き換えてもそうなんだろうな。

ビミョーで面白い、階級の話。①

※今回は旧ブログの記事をこちらに移動してみました。書いたのは6年前なので内容はやや古くなっており状況も変わりつつあるのですが、いまだにアクセスがあり皆さん気になるトピックなのだなということで、ここに復活。お楽しみいただければ幸いです〜!

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イギリス生活もすでに10以上年が経過。そして生活していていまだに感心するのはつくづく階級社会だなあ、ということ。格差社会であることももちろんだけど、そのまえになによりも階級社会だ。

今さらもしれないが、ざっくり分類するとアッパー(上流階級)/ミドル(中流階級)/ワーキング(労働階級)の三種類。その下は「階級以下」とでも訳せばいいのかアンダークラスという貧困階級。

階級というと、どうしても「上か下か」もしくは「金持ちか貧乏か」というテーマに終始してしまいがちだけど、実際にはどの「部族」に属するかと捉えた方が近い気がする。

例えば英語の発音や話し方のトーン、職業に出身校、「夕飯」を何と表現するかといったボキャブラリー、体型や顔つき…観察してると何から何まで違う。そしてミドルクラスをひとつとっても「ロウワー・ミドル」「ミドル・ミドル」「アッパー・ミドル」と細かく分かれていて、その生活ぶりの差はとても「ミドル」というカテゴリーでは括れないぐらいの開きがある。

ちなみに「ミドル」という呼び方からイコール「日本の中流家庭/もしくは庶民」と考えてしまいがちだけど、イギリスでいうミドルは、少なくともミドル・ミドル以上は「裕福な人たち」であることも付け加えておく。また統計によるとイギリス人の6割が自分を労働者階級出身であると考えているらしい。

大抵の人は同じ階級の人たちとしか交流しないからあまり強く意識していないけれど、イギリス人のアタマには「階級」という言葉が刷り込まれていて、切っても切り離せない概念のよう。

ただ、イギリス人全般に通じるテーマといっても、人によっては競争心や虚栄心、劣等感といった感情やエゴを刺激したり、誤解をまねきやすいこともあって、あえて話題にするのはなかなかビミョーなトピックだよなとも思う。純粋に彼らの生態を観察している分にはかなり面白いのだけど。

そんなわけで、以前からこのブログで自分がきっとひそかに抱えてるスノビズムや劣等感をいったん脇においた上で階級について少し触れてみたいなと思っていた。

身近なところでいうと、自分がふだん縁があるのはいわゆるワーキング〜ミドルクラスあたり。面白いことに意外にも生活が派手なのはアッパー・ミドルではなくてミドル・ミドルクラスの人たちで、水準以上の生活をしているのに「お金がいくらあっても足りない」とぼやいている人も多い。上昇志向や見栄みたいなものが働いているせいなのか。アッパー・ミドルの人の方が質実剛健というか、けっこう質素に暮らしてるし子どもも甘やかさない。でも実は親子代々名門ボーディングスクール(全寮制私立学校)の出身で、先代から受け継いだ別荘を海外にもっていたりする。まあ、私個人の経験から言っているだけなので、どれほど全体に当てはまるのかかは分からないけれど。

ちなみに昔ヒットした映画『ブリジット・ジョーンズの日記』の主人公ブリジットはミドル・ミドルクラス出身という設定で、彼女とからんでくる弁護士のダーシーとセクシー上司のダニエルはアッパー・ミドルの設定だった。そしてブリジットの母親は自分たちをワンランク上のアッパー・ミドルに見せようといつも見栄を張っており、父親は妻のそんな振る舞いに呆れつつも彼女を深く愛している。ベタながら王道ラブストーリーの背景にある、微妙な階級間のズレがコミカルで面白かった。これはこの映画(とその原作)の原点にあたるJ・オースティンの『高慢と偏見』にも通じるテーマだ。

『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなんかも同様の視点でみていみるとまた面白い。こちらは階級よりもイギリスの地方色も入ってくる感じで、たとえばイギリス人にとって、ホビット族はイングランド西部の古き良き人たちを思い起こさせるのらしい。そしてフロドはほかのホビットたちより階級が上(いわゆるジェントルマン階級)。ドワーフは出来の悪いウェールズ人。この映画で話されている英語はイギリス英語ではなくて「ファンタジー映画用のハリウッド英語(そういうのがあるんです)」なのだけれど、登場人物たちのアクセントは確かに全然違っている。

そんな役にも立たないことをつらつら思いながら暮らしているうちに、昨年の前半、国営放送BBCと社会学者チームによって実施された英国の最新の階級調査「The Great British Survey」の結果が発表された(註:執筆当時2014年の話です)。これまでのアッパークラス/ミドルクラス/ワーキングクラスという典型的な分け方をいったん排して、7つの独特なカテゴリーに分類。それぞれのグループについての詳しい説明については省くけれど、16万人以上を対象に「経済状態・文化志向・交友関係」の面からアプローチし、それぞれのカテゴリーを割り出したのだという。これについては「現実にそぐわない」と各方面からかなり反論もあるのだけれど。

7つのカテゴリーの名称をあげておくと、上の方(=リッチな方)から「エリート」「エスタブリッシュド・ミドルクラス」「テクニカル・ミドルクラス」「ニュー・アフルエント・ワーカーズ」「トラディショナル・ワーキングクラス」「イマージェント・サービス・ワーカーズ」「プレカリアート」。

7つのタイプをイラストにするとこんな感じ。(BBCのサイトより拝借しています)

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BBCのサイトに自分がどのグループに属しているのかを診断するテストがあったので試してみた結果、うちは「テクニカル・ミドルクラス」。

非常にパーセンテージの低いグループで、しかも経済状態の面ではかなり裕福なグループなので「なんか全然違うよな〜」と思ったのだけど、夫婦ともに大卒、そしてややオタクな文化嗜好&交友関係、そしてロンドンは住宅価格がかなり高いので、全国平均よりは高価格帯の住宅(実際には小さなフラットだけど)に住んでいるという点でのこのカテゴリー入りなのかもしれない。自分の感覚では「ニュー・アフルエント・ワーカーズ」か「イマージェント・サービス・ワーカーズ」あたりではないかなと思ったのだけれど。まあグループ分けなんてもともとかなり大雑把なものだから仕方ない。しかも外国人だし。

イギリスの方が大学進学率が低いとかいろいろお国事情が違うので、この分類法をそのまま日本に持ってくるのは無理だし、比較もしにくいだろうと思う。

さてグループ分けはここらへんにしておいて、階級でもう1つ面白いことについて触れておきたい。その階級独特の「趣味=テイスト」だ。

話し方や職業、体型などが違うと先ほど述べたけれど、どの新聞やテレビ局を好むか、娯楽や休暇に何をするか、子どもやペットの名前、ファッションあたりにも大きく差が出てくる。

ここら辺はお金のあるなしとはちがって、あくまでも好み。同じお金があっても選ぶスタイルが違ってくる訳だ。もちろん多様化が進み、例外も多くあるわけだけれど。

この階級別テイストについて、現代美術賞ターナー賞作家&フリフリドレスの女装姿で知られるちょっとヘンなアーティスト、グレイソン・ペリーが面白いドキュメンタリーをやっていたので、次回はその話を。

ロンドン&東京で同時エキシビション☆Twin city exhibition

9月の嬉しいニュース。
I am going to hold twin city exhibitions in London & Tokyo in collaboration with Matsushita Shouhei aka M-swift this month. Further detail will follow soon!

今月半ばより、ロンドンのノッティングヒルと東京で写真展を同時開催します。これはM-Swift(エム・スウィフト)こと、音楽プロデューサー松下昇平さんとの連動企画。

彼のJazzyな新音楽・プロジェクト"Folks Cinematic Jazz Ensemble”の音源を私が聴き、そこからインスパイアされた写真を作成しコラボという形で発表しています。

詳細も間もなくお知らせします♪

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M-swift x Nemoroberts “Folks Cinematic Jazz Ensemble” project

Shouhei a.k.a M-Swift has just launched a new project, “Folks Cinematic Jazz Ensemble”, featuring some of the finest jazz musicians in Tokyo and my pictures inspired by the music on the cover.

1st Single “Folklore” is out on 3rd of July.
2nd Single “The Sun Sinking into the Sea” is out on 24th of July….and more to follow!

Check out on Spotify / Apple Music etc.
https://ssm.lnk.to/folklore

M-swiftことmatsushita shouheiさんが温めてきた新たな音楽プロジェクト"Folks Cinematic Jazz Ensemble"。初のシングルが今週7月3日にリリースされました。

架空のロードムービーのサウンドトラックという設定で、美しい旋律と写真で物語を紡いでいきます。私は音楽にインスパイアされたビジュアルを提供。まずはシングル3曲をリリース予定です。ぜひ聴いてみてくださいね。M-swift氏との出会い、そしてプロジェクトについては今後このブログでより詳しく紹介していきます!

最近よくSNSで使用している、水に漂う少女のイメージ“Folklore” は、この曲を聴きながら生まれました。

Spotify、Apple Music など各種ストリーミングサービス、iTunesは上のリンクからどうぞ♪

M-swift公式サイト
http://m-swift.net/

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Back to Copper Beech!


Enjoy gorgeous June sunshine and the garden, sample lovely food and drinks!
I am going back to Copper Beech Cafe this month with bigger and hopefully more powerful images☀️
6月1日よりダリッジのコッパービーチカフェにてネモロバーツ 個展がスタートします。
ここは数年前のカフェオープン時にお声をいただき、初めてロンドンで個展をした思い出の場所!
お庭には名前の通り大きなコッパービーチの木がそびえています。お天気最高の6月にここにまた戻ってこれるなんて幸せ。お運びの際は声をかけてくださいね。

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